天正期頃に作られた木山氏の系図。木山氏は南北朝期の康永3(1344)年に木山松丸城(腰尾城)城主「木山太郎左衛門幸蓮」として初見する。木山幸蓮は木山郷を母体とする在地領主層であったと思われる。この木山幸蓮の系譜は「前木山氏」とされ、南朝系に属し南朝阿蘇大宮司の支配下に所属しており北朝方の今川了俊に攻略されている。その後の木山城主・赤井城主であった木山惟久(紹宅)に代表される木山氏は、「後木山氏」とされ、『木山氏系図』によると木山信幸が阿蘇大宮司の招きによって北朝阿蘇家の家臣となり、木山に入部し益城郡内6ヶ庄5千貫余を拝領し、木山信興・惟興・惟正・惟貞・惟久・信連・信正への系譜へと続く。