益城町指定文化財 『連歌』 ・ 『大宰府天満宮連歌屋記事』 最終更新日:2014年2月26日 印刷 赤井城主であった木山惟久は、当時日本一と称された京都の連歌師里村紹巴に入門し、雅号「紹宅」と名乗っていた。紹宅の連歌師としての地位は高く、その連歌や文化的行動が高く評価されている。紹宅の子信連も連歌を嗜んでおり雅号を「紹印」と称した。紹印は、当時仕えていた黒田如水と子長政に伴って九州における連歌の中心地である大宰府に移り住み、大宰府神社の連歌屋初代になった。