加藤清正禁令(禁制) 最終更新日:2022年10月24日 加藤清正禁令(禁制) 関が原の戦いで、東軍についた加藤清正は、慶長5(1600)年9月19日宇土城にいる西軍についた小西行長の軍勢を攻撃する際、木山を攻略して一泊しました。次いで赤井城の城代であった伊藤与左衛門を攻略して自害させ、翌21日に、この「三ヶ条の禁制」を木山腰尾町宛てに出しました。その後、加藤清正は木山に見張りの兵を置き、隈庄(城南町)を攻略して宇土城の攻撃を開始したのです。