加藤清正知行宛行状 最終更新日:2022年10月24日 印刷 加藤清正知行宛行状 益城町には加藤清正の「知行宛行状」が2通残されています。1通には、加藤清正から伊藤四郎兵衛への知行地の配分として、益城郡守富庄榎津村の内100石を遣わせるということが書かれています。この知行状では、中世の農村で行政単位とされた名称(守富庄)が残されており、近世の行政単位がまだ成立していないことがわかります。 【知行地】主君が家臣に支配権(徴税・行政・裁判権など)を分け与えた土地。