台湾台中市大甲区と友好交流協定を結びました
友好交流協定締結式
令和5年(2023年)1月9日(月曜日)、益城町と台湾台中市大甲区は「友好交流協定」を締結しました。
▲署名した協定書を持つ大甲区顔金源区長(左)と西村町長(右)
▲大甲区から町へ贈られたい草の帽子
大甲区について
台湾台中市は、台湾本島の中央よりやや北に位置する人口約280万人の都市です。大甲区は、台中市の北西部にあり、人口は74,866人(令和5年1月時点)です。農業が盛んで、米や里芋などが生産されています。また、大甲区で生産されたい草を使用した帽子「大甲帽子」も有名です。
大甲区の観光スポットとして有名な「鎮瀾宮(ちんらんぐう)」は、航海の神様として台湾でもっとも広く信仰されている「媽祖(まそ)」を奉る廟です。1732年に建設され、約300年の歴史があります。毎年、旧暦3月には「大甲鎮瀾宮媽祖巡礼」が行われ、100万人もの人が大甲区を訪れます。
▲鎮瀾宮(大甲区)
大甲の聖人 志賀哲太郎
大甲区との友好交流協定のきっかけは、明治時代に教育者として台湾に渡り、大甲区において「大甲の聖人」として語り継がれている志賀哲太郎氏が本町津森地区出身という縁からでした。
大甲区にある「文昌祠(ぶんしょうし)」は、学問の神様が祭られており、多くの受験生や観光客が訪れます。
明治時代には、ここに大甲公学校がありました。志賀哲太郎は、西隣の一室を宿舎として生活をしながら勉強を教え、教え子たちを我が子のように愛し、教育し、給料も困っている子どものために使いました。
現在は、その宿舎に「志賀哲太郎記念室」が設けられており、今でも住民たちに親しまれています。
▲文昌祠(大甲区)
▲志賀哲太郎記念室
また、同じく大甲区にある鐵砧山(てっちんざん)には志賀哲太郎の墓があり、哲太郎の死後、教え子たち及びその親たちは寄付を募り、立派なお墓を建てました。
墓碑の周辺を囲むようにして教え子たちの墓もあり、台湾のお盆ともいえる清明節には、大甲区役所の区長や職員たちも墓を訪れています。
▲志賀哲太郎の墓
これからの交流について
これまでは、平成27年に発足した「志賀哲太郎顕彰会」を中心として大甲区との交流を行ってまいりました。
令和2年12月には、顕彰会により津森地区に顕彰碑が建立されました。
▲顕彰碑(益城町上陳)
今後は「友好交流都市」として、大甲区とのさらなる積極的な国際交流に取り組んでまいります。
▲友好交流協定締結式での集合写真